Dec 17, 2006
12月17日
クリスマスとアフリカ
そろそろクリスマス。すっかり街もクリスマスモード。
この時期クリスマスプレゼントは何を贈ろうかと悩んでいる人も多いかもしれない。
ちなみにバラをプレゼントする人はいるだろうか。
そんなあなたが買うバラはケニア産かもしれない。
現在ケニアは日本に対してバラをたくさん輸出しているのだ。もちろん生花である。
ケニアで栽培されるバラ。ケニアの人々は日本人にそんな幸せをプレゼントしてくれているのだ。
今年はバラにそんな思いをはせつつ、大切な人にバラをプレゼントしてみてはどうだろうか。
製薬とアフリカ
コンゴ民主共和国では「アスピリン」がとれる樹木がたくさん生い茂っている。
「アスピリン」といえば日本でも頭痛薬や解熱薬に入っている原材料だ。
アスピリンがとれるアフリカではただの頭痛薬も飲めないで苦しんでいる人がいる。
先進国では薬局に行けば薬が簡単に手にはいる。
その原因を考えないと本当のアフリカの問題は分からないのではないだろうか。
HIVとアフリカ
先日ベナンから来た農業研修生にこんな話を聞いた。
数年前、アメリカはアフリカ全大陸で、アメリカ企業のコンドームの販売権をベナンに要求してきたらしい。ようするにアメリカは自国の会社のコンドームを他国のコンドームより優先的にアフリカ全大陸に売るよう要求してきたのだ。
だがそのアメリカの要求にベナンの前大統領は反対をしたらしい。南アフリカのムベク大統領もHIV問題に関しては強く反対していた。反対の影にはそのようなコンドームの市場問題があったのだろう。
HIV・・・それは確かに問題だ。だが撲滅運動の影ではコンドームの市場争いがあるのだ。世の中はなんとも・・・・
(この件に関してはこれからも事実を詳細に調査していきたいと思います。)
グローバル化と日本
12月17日午前1時55分。
いまNHKを見ながらこのコラムを書いている。
テレビに映し出されている映像は「干ばつに苦しむ子供たち」と題してケニアの様子が映し出されている。天災が原因で子供たちは苦しんでいるらしい。コメンテータももっともらしいことを言っている。ため息がでる「またか」。
飢餓の原因は本当に干ばつなのか・・・
学校給食にでる食べ物にもアフリカから来るものがある。
外食産業も。チョコレートもアフリカから届く。
我々はそれがアフリカから届いたものとはしらず口にしていることが多い。
アフリカは決して食べるものに疲弊している大陸ではない。
ただ大きい大陸なので干ばつもあるかもしれない。
私が言いたいのは、干ばつだけが原因で飢餓が起こっているわけではないという事実だ。
飢餓になる原因の一つにグローバリズムというシステムの中で、先進国の食の犠牲になっている(もちろん我々日本人もそれを享受している)という事実も知っておかなければ、
飢餓の問題はなくならないだろう。
日本の歴史
過去に日本はアメリカやイギリス・ロシアなどから不平等な条約を結ばされてきた歴史がある。
それ対して日本は日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦で平等な関係に高めてきた。
簡単に言えば戦争で不平等な関係を対等な関係にしてきたといっていい。
そして現代を見てみる。いわゆる途上国で紛争が起きるのは、テロが起きるのは
過去の日本と同じような歴史を繰り返しているに過ぎないのではないかと思う。
平等ではない国際関係が再び戦争を起きすのではないだろうか。
国際化と日本
日本は面白い。
国際化を生きるために小学校から英語を教えている。
でも一方で高校では世界史の未履修が問題になっている。
国際化を生きるためにはどちらも非常に大切だと思う。
ゾマホンは言う。本当の国際人になりたければまず自国の歴史を学ぶこと。
そして相手の国を知ろうとすること。
IFEの活動
私がIFEの活動に携わって分かってきたことは先進国とはいわゆる途上国の上に成り立ってきたということだ。私はIFEの活動を携わる上でこんな思いがある。
- ベナン人にとっては日本に留学できるようなシステムを作り上げること。
- 日本人にとっては本当のグローバル化とは何かを知ってもらうこと。
国際化・グローバル化と大きく考えると難しいが、私は幸いベナンと日本という国の関係を見てきて、グローバル化といわれる大きなシステムの縮図をこの二国間で垣間見ることができた。
なぜ貧困が起こるのか。なぜ飢餓が起こるのか。なぜ紛争が起こるのか。なぜHIVが広まり続けるのか。
その答えはいままで私が知ってきたものとは違って、もっと自分たちの身近にあったのだ。
それをどのように分かりやすく伝えていけるか・・・それが課題だ。
最近のゾマホン.com
最近、このHPに動画が入った。(≫日本語教師の窓)
皆さまご覧いただけましたでしょうか。
ちなみにベナンはインターネット事情があまりよくない。
インターネットはプリペイドカードを購入してつなぐようになっている。
プリペイドカードは2枚で5000CFA(日本円にして約1,000円)
1枚120分使えるものだが、実際は120分ももたないものが多い。
そんなネット環境で動画のファイルを送るとあっという間にプリペイドが切れてしまう。
先生方は自分たちのお金でカードを購入し、現地からの最新の写真や動画などを届けてくれる。ネット環境が大変な中、すこしでも現地の様子を知ってもらいたいという気持ちで送ってくれるので、大変ありがたい。
(ちなみに今回出演している生徒は日本の英語教育でいえば高校1年生レベル。 また日本語が聞ける環境は週二回の日本語の先生の授業に限られる。)
NPOも楽じゃない
師走・・・本当にすばらしい表現だ。
私は師ではないが、気がつけば走り回っている。
12月にはいってからのIFEの仕事は格段に忙しかった。
ゾマホンの忙しさは別物だが、私も忙しかった。
ちなみにNPO法人IFEは専属のスタッフはおらず、みんな現在のところ
ボランティアである。ようするに人件費や事務所代がまだ払えない小さな団体なのだ。
もちろんこのHPを作ってくれている人もボランティアだ。
将来的には専属のスタッフがいないと大変だと思っている。
私の場合は、普段は派遣社員として一般の企業に勤めている。
なぜ派遣かといえば、IFEの仕事が忙しいと、時には仕事を休まなくてはならず、
また普段は仕事が終わった後にゾマホンと仕事をするから、
なるべく残業がない仕事をしなければならない。
12月は山形大学で講演会があった。平日だったので、仕事を休んでの仕事(?)だった。
もちろん次の日は仕事に行かないと生活が大変なので、日帰りでいった。
アパートについたのが、深夜1時。それから今日行ってきた講演会の書類の整理をしたり、
現地から何か緊急な連絡が入ってないか、メールなどを確認したら、もう三時・・・
あ~あと三時間寝られる・・
そしてその週末にゾマホンがベナンで仕事があるので、日本にいない間の仕事の引き継ぎ。
結局、山形大学から帰ってきて3日間は殆ど眠られなかった。
「派遣の仕事⇒IFEの仕事」しかもIFEは都内に事務所がないので、ゾマホンの仕事先の近くで落ち合って、どこかでご飯を食べながら打ち合わせをしたり、とにかく移動が多い。
ゾマホンの仕事の引き継ぎのほか、日々のお金の計算、今度日本に留学する学生の履歴書作成、次回日本語教師派遣の助成金の申請書、HPの原稿作成、年賀状作成、アフリカの勉強・・・大変である・・・
それでIFEから給料をいただいていないが、ちゃんと各種税金は納めなくてはいけない。そのお金があれば・・・と思ったりもするが、それは現在の制度を遵守しなければいけない。
ここで言いたいのは、単なるグチではなく、NPOというのは一生懸命やろうとすると本当に大変である。私のもとにも色々な方から「何かできることありますか。」という問い合わせも多い。
「何かできることありますか。」という質問にたいしての答えが一番悩む。
また「ゾマホンはタレントだから知名度もあるしお金あるんだよね。」と軽々しく言われたりする。
まあ表面上は笑顔で応対するが、心の中では泣いている。。
最初からそんな楽なものはない。でも私が一生懸命できるのは、現地の日本語学校で
しっかり日本語教育が行われ、ほかの日本語学校にも引けをとらいない、
心意気のある日本語教師と勤勉なベナン人学習者がいることだ。
最後にこのHPを更新してくれているスタッフ。石田さん・山瀬さん・小野寺さん・原さんというスタッフに恵まれ、ここまでやってこられたことに改めて感謝したい。
そしてこのIFEをささえてくださる会員さんをはじめ多くの方にも改めて感謝したい。
Nov 20, 2006
たけし日本語学校の生徒の皆さまへ
ベナンの「たけし日本語学校」の生徒の皆さま、お元気ですか。
今日は皆さまにお話したいことがあります。
皆さまはゾマホンのように日本に行って勉強して、そして母国にもどって国のために役に立ちたいと思う方は多いと思います。
でもまだまだ日本という国は多くのベナン人を受け入れるのが厳しいというのが現状です。 それは以下のような理由からです。
- 日本大使館がベナンにないこと。
- 渡航費用が高いこと。
- ベナンの大学と日本の大学の交流がないこと、すなわちベナンの情報が日本には少ないこと。
- フランス語圏であること。(多くの日本人は英語は分かりますが、フランス語はわかりません。現に履歴書を提出する際はフランス語ではいけません。)
その他色々な事情があって、ベナン人を受け入れるのが厳しいというのが事実です。
でも、ゾマホンをはじめ、日本にいるIFEのスタッフ、それを支えてくださる会員さんは、なんとかいまの現状を変えようと日々頑張っております。たとえ困難でも希望をもって日本側は頑張っております。だから皆さまも希望をもって日々の日本語の勉強を頑張ってください。皆さんは週に2回だけ日本語を聞けるチャンスがあります。それは少ないかもしれません。でも先生の日本語をしっかり聞いて、頑張ってください。先生から毎月皆さんの出席状況など、報告がありますが、遅刻する人も少なく、皆さん本当に真面目に勉強しているのだということが分かります。
皆さん、皆さんは色々な目的で日本語を勉強しているのは知っています。
皆さん一人一人はベナンの宝です。ベナンの国を良くするも悪くするもあなた方一人一人の気持ち次第です。
ゾマホンは、いまのベナンの子供たちには、自分が経験してきたような苦しい生活はさせたくない、だからいまを生きる人間として、大人として、ベナンのために尽くしたいと話しています。
自分たちの子供たちに、いま大人ができることは何かを考えています。
皆さんも日本に行けるチャンスがあったら、自分や自分たちの家族のことだけではなく、
ベナンのこれからの子供たちに何ができるかを考えて欲しいと思います。
これはとても日本人的な考え方で、理解に悩む人もいるかもしれません。 でも、それがいまの時代を生きるあなた方の大事な使命です。
ベナン人でも多くの優秀な方がいることを知っています。でもその優秀な方の多くは 海外で生活しています。その結果どうなるかというと、ベナン国内は豊かになりません。
日本も60年前、戦争で敗れ、大変な時期がありました。
でも戦争で敗れ、そのために多くの日本人がお金を稼ぐ為に海外に出稼ぎにいったら、
きっといまの日本はなかったでしょう。
国内にいるよりは、海外で働いたほうが外貨も稼げて豊かな暮らしができると、当時の日本人が考えたなら、いまの日本はありえないのです。
皆さんはフランス語ができます。皆さんの中に優秀な技術者がいて、フランスの企業が高い給料を払うから、フランスに来ないかといわれると、皆さんはどうしますか。
皆さんにとって厳しい選択になるかもしれませんが、もし将来のベナンのことを考えるなら、たとえ海外に一時留学しても、必ずベナンに帰ってきてください。 そして、将来のベナンのためにベナンで頑張ってください。
これから産まれてくるベナンの子供たちのためにも、いまの時代を生きるベナン人として、 ベナンのために頑張ってください。国のためなるかどうかは職業に関係ありません。
日本に留学を希望する皆様のために。
NPO法人IFE
山道昌幸
Nov 05, 2006
ベナンで思った日本語教師と日本人
市民フェスタで大阪外国語大学の生徒と色々話をした。
話によると大阪外国語大学と大阪大学が統合されるらしい。
それに学生たちは憤慨していた。
日本はどちらかというと言語に対する意識が面白い。
きっと生まれながらにして、日本語(母語)を話しているから、一般の人々は僕も含め
それほど深く言葉に対して意識もしないのだろう。
でも、ベナンに行って思ったのは、フランスも中国もポルトガルも言葉は外交戦略として重要である。
(それに関してはこのサイトでも近々ベナンにある「中国カルチャーセンター」を紹介する。)
最近は公立の中学や高校で英語の授業のため、外国人の先生を雇っている。
その先生方はちゃんとした組織から派遣され、日本で日本人と同じようなお給料をもらって働いている。それ以外にも最近民間でも色々な英会話学校がある。皆さんちゃんと給料をもらっている。
一方日本語を教えている先生方はというと・・
(外国人の英語の先生でもそんな方は少ないと思うが、)日本語を教えるためには大学院まで出るか、もしくは民間の日本語教師養成講座に通学するかしないとなかなか就職できない。
そして、オーストラリアなどにはインターンシップとして先生がお金を払って日本語を教えに行く。日本語を教えるために先生がお金を払う。
国内でもボランティアで日本語を教えることが多い。
あ~なんと日本人はおおらかなのか。必要としている外国人に、自分がお金を出してまで教えにいくとは・・・英会話の先生でそんな人はどれほどいるのだろうか。
そうは言っても、いまベナンにいる先生には色々な面で自腹をきることが多いが、できればちゃんとした待遇で迎えてあげたい。
日本語教師は今後、日本を世界につたえる大切な職業だと思うし、それはベナンでみた他の国々の様子をみてもそう思う。国内においても同じことがいえる。
私は専門家でもないので偉そうにはいえないが、いまの日本語教師の存在は海外の語学教師とくらべて、かわいそうである。
日本の公立の中学や高校にたくさんの英語教師を雇うなら、それと同じように世界・国内で働くプロの日本語教師にもっといい待遇を日本政府は考えてあげて欲しいと思う今日この頃である。
核問題と日本人
最近、北朝鮮の核実験が怖い。
でもそれ以上に怖いのは日本人の感覚。(特に若い人)
もし将来、北朝鮮と国交が開け、北朝鮮の人と街や職場で遭遇すると、いまのニュースで
育った若者はどんな目で北朝鮮の人を見るだろうか。
現に最近ではネット上で北朝鮮の人々に対する差別的な発言が目立つ。
その前に知ってもらいたい。
フランスが1960年から1996年のポリネシアのファンガトファ環礁を最後にするまでサハラ砂漠で210回の核実験を行っていたことを。そしてある情報によるとそのうち45回が空中爆発実験をしていたことを。
ちなみにフランスは自国内で行ったのではなく、アフリカ大陸で行った事実も見過ごせない。
1回の核実験で経済制裁され、悪の枢軸と呼ばれる北朝鮮と、そうではない国。
この事実を知っていれば、核実験や北朝鮮に対するものの見方はかわるのではないか。
かといって僕はいまの北朝鮮を支持するのではなく、核実験も支持するのではない。
そう思いつつ、今日もニュースをみていると相変わらず、北朝鮮に対する激しい意見が飛び交っている。6カ国協議に参加するか、そしてどんな会議になるか。
そんなこと、テレビで予想してどうなるのか・・・オリンピックでもあるまいし・・・
いじめと本
人には何冊か人生の生き方を左右する「バイブルの本」がある。
読書嫌いの僕にでもそんな本はある。
『トットちゃんとトットちゃんたち』(講談社)
高校時代、大学の推薦入試が終わって、皆より一足先に受験勉強を終えた僕は
珍しく剣道場に足を運ばす、学校の図書館で本を読んでいた。
そこで見つけたのがその本。
あれから10年がたったいまでもその衝撃を覚えている。
本のなかに「アフリカの子供たちは自殺をしません。でも日本の子供たちは自殺をします。」
という内容の文があった。
たしかに栄養失調のアフリカの子供たちや、内戦で傷ついた子供たちが映像に流れていても、そこに何か必死に生きようとするたくましさを感じる。
一方でいまの日本人、特に子供たちは、いじめを苦に自殺する。最近は連日そのニュースばかり。
一体、人間にとって豊かさとはなんだろうか・・・
このまえ、ある教育関係者に「ベナンでは先生のいうことは絶対で、みんなちゃんと先生のいうことを聞くんですよ。」と話すと、「先生が絶対って、やっぱり教育が遅れているね。」といわれた。
ちょっと、ちょっと。(パクっていませんのであしからず)
ベナンの子供たちは自殺しないよ。いじめもしないよ。いじめがみつかったら学校から追い出されるから。
「学級崩壊」「いじめ」「自殺」がある日本とそれがないアフリカの学校。
はたして、一方的に「ベナンの教育は遅れている。」といえるのか。日本はそこから学ぶことはないのか・・・
僕は言いたい。マスメディアも連日「自殺」のニュースを話題にするのはやめてもらいたい。いま、いじめにあっている子供たちがそれをみたら「その結論」に急ぐから。
そして、もし今、いじめられている人がいたら分かって欲しい。世界にはあなたを必要としている、友達になりたいと思っている人が沢山いると。よかったら今後一緒にベナンにいこう。
そしていじめをしている人がいたら知って欲しい。きっとこれからの世界、あなたのような人が仲間はずれにされると。
草の根交流と日本
日本では「草の根」というフレーズが好きである。
草の根活動で、アフリカの貧困の撲滅を図る。
確かにそれはそれでいいとおもう。
でもふと思う
国から「草の根」といわれることにちょっと違和感がある。
NPOの活動は「根っこ」なのかと。上からものを言われている感じがして・・・
時には「花」にもしてもらいたいなと思う。
カカオ豆とチョコレートと子供
最近、コンビにで色々なチョコレート商品を見かける。
甘党の僕にとってチョコレートは日々の生活には欠かせない。
特に板チョコがお気に入り。
でもふと考える。カカオ豆の一番の生産国はガーナ。(ベナンの隣)
でもガーナの貧困率も高い。
聞いたところによると、カカオ豆は「やしの木」のように高くて細い木なので、
大人が収穫できなく、もっぱらカカオ豆を収穫するのは子供たちらしい。
しかも機械がない多くのプランテーションでは子供たちが木にのぼって手で収穫するとか。
ちょっと違うが、日本の茶畑を考えてみると、手摘みの茶葉はかなりの高級品。
なぜ、日本人が手で摘む茶葉は高くて、手摘みのカカオ豆は安いのか・・・
先進国では安くておいしいものが手に入れられるようにするため、どこかの国がその犠牲にならなくてはいけないのか・・・それを考えるとチョコ好きな僕が安くチョコを買って一方でベナンの仕事に携わっていることに矛盾を感じたりする。
だからといってチョコが1000円になると、僕はぶーぶー文句を言うに決まってる。
日本の子供たちよ、板チョコを食べるときはちゃんと「いただきます」をして、
心して食さないといけない。世界の飢餓や貧困の原因は身近なところに転がっているのだから。
環境破壊と植林活動
先日、アフリカの旅からもどった仲間とアフリカの環境についてめずらしく真面目に話をして、ふと思った。
アフリカでは砂漠化問題が懸念されている。そのため多くのNGOが植林活動を行っている。その活動は非常に素晴らしい。
でも植林活動するなら、日本から古い自動車を海外に売らなければ、途上国の環境問題は改善されるのではないか。
日本ではハイブリットカーなど環境に考慮した自動車が生産されるなか、そのためにいらなくなった中古車は海外に行き、最終地はアフリカとなる。ベナンでも8割の自動車が日本車製。あとはほとんどがフランス製。
日本国内で産業廃棄物を処理したら、どれだけアフリカの環境問題が改善されるか。
でもそこには「ビジネス」というものが存在していることも考えなければいけない。
そして日本国内で中古車を処理するなら、それだけ税金もいま以上の金額を負担しなければならないだろう。それが我々にはできるか。
問題とするところは「国際協力」というものが、我々が豊かに、そして、便利に生活するための代償として行われているのかと感じてしまった。
大阪市民フェスタに参加と募金活動
10月 大阪で第8回大阪市民フェスタがあり、そこに大阪外国語大学の学生と参加してきた。
(外大の皆さま、色々ありがとう。)
大阪から夜行バスで帰ってくる車内でふと考えた。
なぜ、貧しい国に募金活動を訴えるチラシやポスターには
いわゆる「黒人の子供」が使われるのだろう。
たしかにアフリカ大陸の貧困率は他の大陸より悲惨な状態かもしれない。
でもなぜ。
「黒人の子供」=「貧しい・かわいそう」
それは新たなアフリカ53カ国に対する
偏見であり、それは対等な国の付き合いができなくなる、一番の問題ではないか。
逆に、もしベナンの人が「精神的に貧しい日本の若者に愛の手を」といって
被写体に日本人の子供を使って、ベナンで募金活動していたなら・・・
それをもし現地でみた日本人はどう思うだろう・・・
そろそろ「貧しい国」と「黒人の子供」をセットにして募金活動をするのは
やめて欲しいな~と思う今日この頃。
Oct 05, 2006
拝啓 ゾマホン様
ゾマホンさん、日本の夏はいかがでしょうか。日本の夏もこれで12回目ですが、この暑さにはなれましたか?
僕はゾマホンさんがご自身で活動の内容を伝えきれない部分を何とか皆さまに紹介したいといつも思っておりますが、でもなかなかうまく伝えることができません。。。でも頑張ります。
ゾマホンさんは現在、ベナン大統領特別顧問という立場ですが、そのお仕事はいかがですか?
大統領特別顧問の給料は全てベナン政府に返している(受け取ってない)とのことですが・・・普段の生活をみていると少しはもらってもいいんじゃないですか?といいたいところですが・・・滅私奉公とはこのことでしょうか。ちなみに以前、日本人の方に「ゾマホンさんのような滅私奉公の精神をもってると・・」といわれたときに「飯ホウコウ?」と聞き返されたのは、冗談だったのか、本気だったのか。でもとりあえずゾマホンさんには「飯」はあいます。
あとゾマホンさんが母国に帰られた時にボディーガードをつけることも拒否されましたよね。母国にとってはゾマホンさんの考えに反対している政治家や官僚も多いと聞きますが。
でも僕がすごいな~と思ったのは大統領顧問に就任されてからも、ベナンでは決していばることなく、庶民の食堂でご飯を食べ、路上で踊り、ベナンの下町、セントリタにあるジャパンハウスの近隣住民と仲良く話し、北部に現地調査に行けば、村の長老の手をとり、真剣に話を聞いている・・・本当に自然体だったことです。
そんなゾマホンさんによく「ゾマホン、将来は政治家にならないの?大統領にならないの?」と聞かれますよね。でもゾマホンさんはサラサラなるつもりなんてないですよね。
「たけし小学校」「江戸小学校」「明治小学校」「ジャパンハウス」を建てられたことはすごいことですが、それ以上にすごいのはゾマホンさんの出身地ではないところに建てられたことだと思います。
もし政治家にないたいのであれば、まず最初に地元に学校を建てますよね。そしてそこで基盤をつくり選挙にでる。また日本とのパイプがあれば、それを大いに利用し、地元に貢献をして、地元民の支持を得、そして選挙にでる。実際ベナンでそうしている人もいますよね。
そういう考えがゾマホンさんにあれば、きっと大統領も夢ではなかったと思います。でも、そうはなさらないんですよね。
ゾマホンさんのお母さんも大変だったと思います。自分の息子が外国で仕事して、そのお金で地元に貢献しないで、ちがう所に学校を建てた。。。
民族の違いもあれば、まだ田舎の方では強い村社会のベナンにとっては日本以上に厳しい意見もあったのではないかと思います。「あんたの息子は地元を捨てた。」といわれたこともあったのではないでしょうか。ちなみに私はそんなこともあったと聞きましたが・・・
本当にゾマホンさんは自分の名誉とか、地位よりもベナンの国にいま自分が何ができるかを純粋に考えていらっしゃいますよね。
ゾマホンさんのお母様も一日も休むことなく農業の仕事をなさられていたのにゾマホンさんが小学校を作りたいと相談されたときは、すぐに賛同されたらしいですね。母という存在はすごいですね。ゾマホンさんは日本にいるから地元の人々の意見はなかなか届かないでしょうけど、それを受け止められていたお母さんは強い方だったんですね。
親思う 心に勝る 親心・・・
自分の権力のために、日本(先進国)との繋がりをうまく利用する方もいると思いますがそれをかたくなにしないゾマホンさんはまさしく滅私奉公の精神ですね。
ゾマホンさんはそういう姿勢を貫くことによって、権力社会にはびこる悪しき慣習にだまって訴えているんですよね。そしてその姿勢はこれから国をしょっていく母国の若者に伝えているんですよね。
「正しいことをしたければ偉くなれ。」というよりは「正しいことをした結果は必ずかえってくる。」ですね。正しいことをした結果の大統領特別顧問ですからね。きっと正義感あふれる多くのベナン人に勇気を与えたのではないでしょうか。
さて、これからもその姿勢をくずさず、IFEの活動をつづけていきましょう。そして、ジャパンハウスから第2、第3のゾマホンさんのような精神をもった人々を育てていきましょう。ゾマホンさん、活動は始まったばかりです。IFEの皆さんとともに今後も着実な一歩を踏みしめていきましょう。必ず将来は明るいと信じて、日々精進しましょう。
敬具
拝啓 ゾマホンさん
拝啓
ゾマホンさん、ゾマホンさんは本当に全てが規格外です。
体力、精神力、頭の回転、時間の概念。。。全てが規格外です。
まず、ゾマホンさんが一体どのようにして日本の大学院までこられたのか不思議でなりません。
話によると、小さい頃は月明かりで、そして高校生のときは道の街灯の下で勉強されていたとか。
確かに僕がベナンに行ったとき、月明かりの下で勉強する様子をゾマホンさんの生まれた村の近くで実際に見せてくださいましたよね。
はっきり申し上げて想像を絶する暗さでしたよ。そこまでして勉強をしたかったんですね。
そして朝起きての水汲みに行かれる場所は大きな石のくぼみにできた水溜りでしたよね。あれを見せられて、ゾマホンさんの小さい頃が余計に想像できなくなりました。一体どんな生活を送ってきたのかと。
ベナン国立大学進学に際しての学費も、ゾマホンさんの著書の中でも書いてあったように、工面するのが大変だったみたいですね。学費も大変だったからかもしれませんが、なんと大学を1年で卒業されていますね。ベナンで聞いたところによると、何万人に1人の逸材だったとか。
そして、さらに勉強がしたくなって中国に国費留学でいかれたそうですね。その選抜試験も一発で通ったそうですね。昼は学費を稼ぎ、夜に街灯で勉強していたにもかかわらず。。。
中国ではアルバイトをしながら一生懸命漢字も勉強され、本来4年間勉強して帰国しなければいけないところを、ゾマホンさんの強い熱意で大学院に進学する許可を特別もらったとのこと。国の制度を変えるくらいの熱意とは一体どんなものなのでしょうか。
そして、さらに勉強がしたく、日本に私費で来られましたね。はじめて日本に到着した時はどんなお気持ちでしたか。
当時、日本ではベナン人は2人くらいしかいらっしゃらなく、もちろん日本人はベナンという国も知りませんでした。日本での生活はどんなに大変だったか、それは笑顔の中に時々みせるすごく厳しい表情でなんとなく察します。あと、時々どこか寂しい表情をされる時もありますよね。日本に来てからは1人で色々戦ってこられたんだな~と思ったりもします。ゾマホンさんの日本での生き方は、すべてが開拓ですからね~そんな生き方をしてこられたから、マニュアル通りにするのがお嫌いなんですね。でも、だからといって僕の車についているカーナビに怒らなくてもいいじゃないですか~「山道さんはマニュアルに頼りすぎ」って。
日本語学校に入ってからも年間150万円の学費をどのように稼いでこられたのか、想像もできません。それにバイト先を見つけるのは大変だったのではないでしょうか。住むアパートとかも。
日本でたよるベナン人もいない、生活も大変。大学に入学するのも一発勝負。なぜなら中国で大学院に進学するときも大変だったのですから、日本ですぐに結果を出さないと国からなんといわれるか。。。そうとうなプレッシャーと責任だったのではないでしょうか。でもそんな精神的なプレッシャーもはねのけ、日本語を勉強して2年で日本語能力検定1級に合格し、上智大学に合格されたとのこと、感服いたします。
そして、上智大学に関しても、上智は帰国子女や留学生は日本人が受ける一般試験とは違いますよね。校舎も帰国子女・留学生は市谷キャンパス一般学生は四谷キャンパスですよね。ちなみにゾマホンさんは四谷キャンパスでしたよね。ということは日本人が受験する大学入試をされたんですね。話によると外国人で一般試験をパスし、四谷キャンパスに通学したのはゾマホンさんが初めてだとか。。。本当に規格外ですね。そしてそのまま博士課程後期までいかれるとは。。
ゾマホンさんは僕によく言いますよね。どんな辛く、たとえ死にそうなことがあっても、他人に何か聞かれても「まあ大変でした。」くらいしか言ってはいけないと。
現在は多くの人にゾマホンさんの名前も知ってもらって、本もたくさん売れて・・・でも、どんなに周りの環境が変わっても、昔のハングリー精神を忘れず、そして母国を忘れず、懸命に働いているゾマホンさんの姿には頭が下がります。そして改めて思います。ゾマホンさんを観るときは僕の価値基準で判断してはいけないと。。<つづく>
敬具
夏休み
今回は私が15年間通い続けているコーヒー屋さんをご紹介します。
場所は実家から車で1時間強かかる場所にあるのですが、そこのコーヒが非常においしい。そしてそのマスターがまた職人気質で、豆の買い付けにはその国まで足を運ぶこだわりよう。
もちろん焙煎も自家製。
見渡す限り田んぼが広がるところに集落があり、その集落の一角にログハウス調のコーヒー屋さん。焙煎しているときは遠く1キロはなれたところまでその香が漂う。
店内はモダンなつくりで、暖炉もある。そして大きなスピーカーからはクラシックがながれている。なんともあたたかい感じ。
そんなお店で私が一番好きなのは野良仕事を終えた、農家の人々がもんぺ姿でお店にきて、マスターに「冷たいコーヒ」といって注文する風景だ。中にはアイスコーヒと言えず、「コーヒー牛乳」と注文する人もいる。
田舎にしてはちょっと気取ったつくりのコーヒー屋さんなのに、そのお客さんの風景を観察していると滑稽だが、なんとなくホッとする。
今回も実家に帰り、墓参りを終えた後、母と二人でその店を訪れた。最近マラウィからきた豆があるとのことで、そこでマスターとアフリカ談義に花が咲く。
そのあと、母と二人で仕事のこと、将来のことを色々話す。母は数年前大病を患い、一度はあきらめかけた時期もあったが、そこからなんとか持ち直し、現在は日常の生活ができるまでになった。
母は僕がいまやっているアフリカの仕事がうまくいくように、僕が結婚して、幸せに暮らせるように日々祈ってると改めて聞くと目に涙。
僕は自分でも自覚するほど小心者で心配性。その僕が東京に出て、アフリカの仕事(海外の仕事)をしていることに一番驚いているのは、おそらく両親だろう。
さて、今日で連休も終わり・・・
僕の夏休みも終わり・・・
こんどそのコーヒー屋さんを訪れるときはいい報告ができるように、一所懸命頑張らなければ・・・。小心者だから、心配性だからとも言っていられない。さあ頑張ろう。
会員の皆さま、IFEは皆さまのお陰で成り立っております。今後はHPもリニューアルしたりと、色々考えております。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
○コーヒー屋さんの紹介○
お店の名前:ダックスファーム
住所 :富山県下新川郡入善町木根145
電話 :0765-72-1460(地方発送もできます)
「人生甘くない」と「マジック・ジョンソンの言葉」
アフリカでの日本語学校開設にむけて私は情報収集をはじめた。
大学、日本語学校、アフリカ関係のNGOなどなど・・・
会社帰りに足を運んだり、休みの日を利用したり・・・
色々な方々にお話をお聞きしたが、決まって返答はこうだった。
「アフリカで日本語教育は無理だよ。まず、なぜ日本語教育なの。」
「識字率も低い国に日本語教育を行っても無理だよ。
日本語を勉強して、一体なんの役に立つの。。。」
「日本語学校を作ったって生徒は集まらないよ。」
確かにアフリカでの日本語学校は話を聞けば聞くほど本当に大丈夫か・・・と心配になってきた。
でもどうしてもベナンで日本語学校を作りたかった。
なぜなら「ベナンで日本語教育を」という意見は日本人が提案したのではなくベナン人、ゾマホンさんだったから。現地のことは現地の人が一番分かっているに違いない。そう思っていた。
ベナンの日本語学校開設まで色々あった。その時は大学時代に部室に貼ってあった元NBAプレーヤーのマジックジョンソンが黒人の子供たちに贈った詩を思い出した。
君には無理だよと言う人の事を聞いてはいけない
もし自分で何かを成し遂げたかったら
出来なかった時に他人のせいにしないで自分のせいにしなさい
多くの人が僕にも君にも無理だよと言ったら
彼らは君に成功して欲しくはないのだろう
なぜなら彼らは成功できなかったから・・
途中で諦めてしまったから・・
だから君にもその夢を諦めて欲しい
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ
決して諦めては駄目だ
自分のまわりをエネルギーであふれ
しっかりした考え方を持っている人でかためなさい
自分のまわりを野心であふれた正しい人でかためなさい
近くに誰か憧れている人がいれば その人にアドバイスを求めなさい
君の人生を考えることが出来るのは君だけだ
君の夢がなんであれ
その夢に向かって歩いて行くんだ
何故なら君は幸せになる為に生まれてきたんだから
~2003年9月ベナン共和国 コトヌー市セントリタに
「たけし日本語学校」は開講した。
入学希望者は1000名近くに上った。
日本語教師
大学を卒業した私は都内の日本語学校に就職し、営業部に配属になりました。
そこで世界の日本語教育の情報を集めるうちに一つの疑問がわきあがりました。
アフリカ大陸での日本語教育機関数が極めて少ないのです。なぜ、あれほど大きな大陸で日本語教育が少ないのだろうか・・・そういえばゾマホンさんはアフリカで日本語学校を作りたいといっていたけど・・・
そうだゾマホンさんに連絡をとってみよう。その夜、自宅に戻り、以前もらった名刺のメールアドレスにメールを出しました。「今度一度お会いできますか。」と
次の日、メールをあけるとゾマホンさんから「OK」のレスがありました。今、ゾマホンさんと仕事をしていて改めて感じることはメールを送った次の日にすぐに返事をくれることが奇跡です。これほど多忙なゾマホンさんが僕の送ったメールを読んでくれてそしてまた、僕のことを覚えていてくれていたことにびっくりでした。
翌日、上智大学でゾマホンさんに久しぶりにお会いしました。そして、なぜアフリカで日本語学校を作りたいのかを質問しました。
ゾマホンさんからいただいた答えは皆様に少しずつお伝えしてまいります。
最後にゾマホンさんが私の手帳に丁寧な日本語で「日本語教師は民間の大使である。」と書きました。
日本語教師。皆様は日本語教師というお仕事がどのようなお仕事かご存知でしょうか。とっても大切な仕事で、ゾマホンさんも日本語教師への評価は非常に高い。ただ国内での日本語教師の社会的知名度は低いのが残念。とりあえず私はいよいよゾマホンさんの夢にお手伝いしたいと思うようになりました。
そして学生時代からの疑問だった「なぜ世界史の教科書にはアフリカ史が少ないのか。」と日本語学校に勤めてからの疑問だった「なぜアフリカ大陸で日本語教育機関数が少ないのか」という二つが次第に結びつくようになってきました。。。
日本語教師への道
新宿について、お別れの時、ゾマホンさんから名刺をもらいました。そして、早速お礼のお手紙を書きました。
その後私は大学で毎日剣道にあけくれ、そして将来の仕事のこともいよいよ真剣に考えるようになりました。
大学のゼミでは、多くの学生が「学級崩壊」「不登校」「いじめ」などをテーマに研究している人がいました。
そこで私がふと考えたのは「海外の学校はどうなんだろうか。」そして「海外ではいじめや不登校などはないのだろうか。」ということに興味を持ち始めました。
私のなかで少しずつ「海外で教師になって見識を深めたい。そして、将来故郷で教員をやりたい。」と思うようになりました。
私が大学を選んだ基準は、剣道で素晴らしい先生がその大学にいらっしゃったからでした。その先生は剣道の技術のみならず、人間教育も非常に大切になさられる先生で、教員になる為には、この先生のところで勉強したいと思ったからでした。
私は剣道を学び、また大学時代剣道の基礎体力作りのため、相撲もやり段も取得しました。また恩師に進められてお茶の稽古もしました。
そんな大学時代の経験から、この経験を活かしたい・・・そうだ日本語教師になれば海外で教壇に立てるし、いまやっている剣道や相撲や茶道が生きるかも・・・と思ったのでした。
そういえばゾマホンさんは言ってたなあ~
「ベナンに日本語学校を作りたい・・・・」
僕は大学の恩師に早速相談しに行き、日本語教師の道へと進みました。
出会い、そして「ご協力おねがいします。
私がゾマホンさんと会って、七年とちょっとになります。最初は私が20歳で大学生の時、ちょうど羽田空港から新宿まで行くバスの中で出会いました。
その時、ゾマホンさんも地方講演の帰りで、かなりお疲れのようでしたが、TVでゾマホンさんのことを知っていた私は、臆することなく声をかけました。「ゾマホンさんですか。ちょっと質問があります・・・・」
私がゾマホンさんに興味をもったのはただタレントとしてではなく、ゾマホンさんがTVの中で「日本で伝わるアフリカの情報は偏っている。」とコメントしていたからです。
なぜそこに興味を持ったかといえば、私は大学で教育学を専攻しており、専門科目は世界史でした。
小さい頃から教員への憧れが強かった私は、大学で教職課程を勉強していました。そんな中、世界史の教科書を調べてみると、なぜかアフリカの歴史の記述が少ない。しいて書いてあるのが、奴隷船に乗せられている人の絵があるくらいで、ほんの数ページしかない。一方でアメリカ、ヨーロッパ、アジアの歴史はしっかりと記述してある。
「なぜ、日本の世界史の教科書にはアフリカの歴史が少ないのか。何か日本の教科書は偏っているのではないか。それをそのまま子供たちに教えていいのか。」それがゾマホンさんと出会う前からのずっと疑問でした。
「僕はこのまま先生になってもいいのか。もっと見識を広めたほうがいいのではないか。」そう思って悩んでいた時にゾマホンさんと出会ったのは、まさに何かの縁だったのかもしれません。
ゾマホンさんは新宿に着くまでの間、教育について、将来の日本とベナンの交流について色々話してくださいました。その中で、一言、僕の心を揺るがしたのは
「ベナンに日本語学校を作りたい。そこでベナンの人々、その他のアフリカの人々に日本の文化を味わったもらいたい。ご協力お願いします。」
でした。その言葉に何かビビッときて、日本人としても血が騒いだのでした。