Oct 05, 2006
拝啓 ゾマホン様
ゾマホンさん、日本の夏はいかがでしょうか。日本の夏もこれで12回目ですが、この暑さにはなれましたか?
僕はゾマホンさんがご自身で活動の内容を伝えきれない部分を何とか皆さまに紹介したいといつも思っておりますが、でもなかなかうまく伝えることができません。。。でも頑張ります。
ゾマホンさんは現在、ベナン大統領特別顧問という立場ですが、そのお仕事はいかがですか?
大統領特別顧問の給料は全てベナン政府に返している(受け取ってない)とのことですが・・・普段の生活をみていると少しはもらってもいいんじゃないですか?といいたいところですが・・・滅私奉公とはこのことでしょうか。ちなみに以前、日本人の方に「ゾマホンさんのような滅私奉公の精神をもってると・・」といわれたときに「飯ホウコウ?」と聞き返されたのは、冗談だったのか、本気だったのか。でもとりあえずゾマホンさんには「飯」はあいます。
あとゾマホンさんが母国に帰られた時にボディーガードをつけることも拒否されましたよね。母国にとってはゾマホンさんの考えに反対している政治家や官僚も多いと聞きますが。
でも僕がすごいな~と思ったのは大統領顧問に就任されてからも、ベナンでは決していばることなく、庶民の食堂でご飯を食べ、路上で踊り、ベナンの下町、セントリタにあるジャパンハウスの近隣住民と仲良く話し、北部に現地調査に行けば、村の長老の手をとり、真剣に話を聞いている・・・本当に自然体だったことです。
そんなゾマホンさんによく「ゾマホン、将来は政治家にならないの?大統領にならないの?」と聞かれますよね。でもゾマホンさんはサラサラなるつもりなんてないですよね。
「たけし小学校」「江戸小学校」「明治小学校」「ジャパンハウス」を建てられたことはすごいことですが、それ以上にすごいのはゾマホンさんの出身地ではないところに建てられたことだと思います。
もし政治家にないたいのであれば、まず最初に地元に学校を建てますよね。そしてそこで基盤をつくり選挙にでる。また日本とのパイプがあれば、それを大いに利用し、地元に貢献をして、地元民の支持を得、そして選挙にでる。実際ベナンでそうしている人もいますよね。
そういう考えがゾマホンさんにあれば、きっと大統領も夢ではなかったと思います。でも、そうはなさらないんですよね。
ゾマホンさんのお母さんも大変だったと思います。自分の息子が外国で仕事して、そのお金で地元に貢献しないで、ちがう所に学校を建てた。。。
民族の違いもあれば、まだ田舎の方では強い村社会のベナンにとっては日本以上に厳しい意見もあったのではないかと思います。「あんたの息子は地元を捨てた。」といわれたこともあったのではないでしょうか。ちなみに私はそんなこともあったと聞きましたが・・・
本当にゾマホンさんは自分の名誉とか、地位よりもベナンの国にいま自分が何ができるかを純粋に考えていらっしゃいますよね。
ゾマホンさんのお母様も一日も休むことなく農業の仕事をなさられていたのにゾマホンさんが小学校を作りたいと相談されたときは、すぐに賛同されたらしいですね。母という存在はすごいですね。ゾマホンさんは日本にいるから地元の人々の意見はなかなか届かないでしょうけど、それを受け止められていたお母さんは強い方だったんですね。
親思う 心に勝る 親心・・・
自分の権力のために、日本(先進国)との繋がりをうまく利用する方もいると思いますがそれをかたくなにしないゾマホンさんはまさしく滅私奉公の精神ですね。
ゾマホンさんはそういう姿勢を貫くことによって、権力社会にはびこる悪しき慣習にだまって訴えているんですよね。そしてその姿勢はこれから国をしょっていく母国の若者に伝えているんですよね。
「正しいことをしたければ偉くなれ。」というよりは「正しいことをした結果は必ずかえってくる。」ですね。正しいことをした結果の大統領特別顧問ですからね。きっと正義感あふれる多くのベナン人に勇気を与えたのではないでしょうか。
さて、これからもその姿勢をくずさず、IFEの活動をつづけていきましょう。そして、ジャパンハウスから第2、第3のゾマホンさんのような精神をもった人々を育てていきましょう。ゾマホンさん、活動は始まったばかりです。IFEの皆さんとともに今後も着実な一歩を踏みしめていきましょう。必ず将来は明るいと信じて、日々精進しましょう。
敬具
拝啓 ゾマホンさん
拝啓
ゾマホンさん、ゾマホンさんは本当に全てが規格外です。
体力、精神力、頭の回転、時間の概念。。。全てが規格外です。
まず、ゾマホンさんが一体どのようにして日本の大学院までこられたのか不思議でなりません。
話によると、小さい頃は月明かりで、そして高校生のときは道の街灯の下で勉強されていたとか。
確かに僕がベナンに行ったとき、月明かりの下で勉強する様子をゾマホンさんの生まれた村の近くで実際に見せてくださいましたよね。
はっきり申し上げて想像を絶する暗さでしたよ。そこまでして勉強をしたかったんですね。
そして朝起きての水汲みに行かれる場所は大きな石のくぼみにできた水溜りでしたよね。あれを見せられて、ゾマホンさんの小さい頃が余計に想像できなくなりました。一体どんな生活を送ってきたのかと。
ベナン国立大学進学に際しての学費も、ゾマホンさんの著書の中でも書いてあったように、工面するのが大変だったみたいですね。学費も大変だったからかもしれませんが、なんと大学を1年で卒業されていますね。ベナンで聞いたところによると、何万人に1人の逸材だったとか。
そして、さらに勉強がしたくなって中国に国費留学でいかれたそうですね。その選抜試験も一発で通ったそうですね。昼は学費を稼ぎ、夜に街灯で勉強していたにもかかわらず。。。
中国ではアルバイトをしながら一生懸命漢字も勉強され、本来4年間勉強して帰国しなければいけないところを、ゾマホンさんの強い熱意で大学院に進学する許可を特別もらったとのこと。国の制度を変えるくらいの熱意とは一体どんなものなのでしょうか。
そして、さらに勉強がしたく、日本に私費で来られましたね。はじめて日本に到着した時はどんなお気持ちでしたか。
当時、日本ではベナン人は2人くらいしかいらっしゃらなく、もちろん日本人はベナンという国も知りませんでした。日本での生活はどんなに大変だったか、それは笑顔の中に時々みせるすごく厳しい表情でなんとなく察します。あと、時々どこか寂しい表情をされる時もありますよね。日本に来てからは1人で色々戦ってこられたんだな~と思ったりもします。ゾマホンさんの日本での生き方は、すべてが開拓ですからね~そんな生き方をしてこられたから、マニュアル通りにするのがお嫌いなんですね。でも、だからといって僕の車についているカーナビに怒らなくてもいいじゃないですか~「山道さんはマニュアルに頼りすぎ」って。
日本語学校に入ってからも年間150万円の学費をどのように稼いでこられたのか、想像もできません。それにバイト先を見つけるのは大変だったのではないでしょうか。住むアパートとかも。
日本でたよるベナン人もいない、生活も大変。大学に入学するのも一発勝負。なぜなら中国で大学院に進学するときも大変だったのですから、日本ですぐに結果を出さないと国からなんといわれるか。。。そうとうなプレッシャーと責任だったのではないでしょうか。でもそんな精神的なプレッシャーもはねのけ、日本語を勉強して2年で日本語能力検定1級に合格し、上智大学に合格されたとのこと、感服いたします。
そして、上智大学に関しても、上智は帰国子女や留学生は日本人が受ける一般試験とは違いますよね。校舎も帰国子女・留学生は市谷キャンパス一般学生は四谷キャンパスですよね。ちなみにゾマホンさんは四谷キャンパスでしたよね。ということは日本人が受験する大学入試をされたんですね。話によると外国人で一般試験をパスし、四谷キャンパスに通学したのはゾマホンさんが初めてだとか。。。本当に規格外ですね。そしてそのまま博士課程後期までいかれるとは。。
ゾマホンさんは僕によく言いますよね。どんな辛く、たとえ死にそうなことがあっても、他人に何か聞かれても「まあ大変でした。」くらいしか言ってはいけないと。
現在は多くの人にゾマホンさんの名前も知ってもらって、本もたくさん売れて・・・でも、どんなに周りの環境が変わっても、昔のハングリー精神を忘れず、そして母国を忘れず、懸命に働いているゾマホンさんの姿には頭が下がります。そして改めて思います。ゾマホンさんを観るときは僕の価値基準で判断してはいけないと。。<つづく>
敬具
夏休み
今回は私が15年間通い続けているコーヒー屋さんをご紹介します。
場所は実家から車で1時間強かかる場所にあるのですが、そこのコーヒが非常においしい。そしてそのマスターがまた職人気質で、豆の買い付けにはその国まで足を運ぶこだわりよう。
もちろん焙煎も自家製。
見渡す限り田んぼが広がるところに集落があり、その集落の一角にログハウス調のコーヒー屋さん。焙煎しているときは遠く1キロはなれたところまでその香が漂う。
店内はモダンなつくりで、暖炉もある。そして大きなスピーカーからはクラシックがながれている。なんともあたたかい感じ。
そんなお店で私が一番好きなのは野良仕事を終えた、農家の人々がもんぺ姿でお店にきて、マスターに「冷たいコーヒ」といって注文する風景だ。中にはアイスコーヒと言えず、「コーヒー牛乳」と注文する人もいる。
田舎にしてはちょっと気取ったつくりのコーヒー屋さんなのに、そのお客さんの風景を観察していると滑稽だが、なんとなくホッとする。
今回も実家に帰り、墓参りを終えた後、母と二人でその店を訪れた。最近マラウィからきた豆があるとのことで、そこでマスターとアフリカ談義に花が咲く。
そのあと、母と二人で仕事のこと、将来のことを色々話す。母は数年前大病を患い、一度はあきらめかけた時期もあったが、そこからなんとか持ち直し、現在は日常の生活ができるまでになった。
母は僕がいまやっているアフリカの仕事がうまくいくように、僕が結婚して、幸せに暮らせるように日々祈ってると改めて聞くと目に涙。
僕は自分でも自覚するほど小心者で心配性。その僕が東京に出て、アフリカの仕事(海外の仕事)をしていることに一番驚いているのは、おそらく両親だろう。
さて、今日で連休も終わり・・・
僕の夏休みも終わり・・・
こんどそのコーヒー屋さんを訪れるときはいい報告ができるように、一所懸命頑張らなければ・・・。小心者だから、心配性だからとも言っていられない。さあ頑張ろう。
会員の皆さま、IFEは皆さまのお陰で成り立っております。今後はHPもリニューアルしたりと、色々考えております。今後とも何卒よろしくお願いいたします。
○コーヒー屋さんの紹介○
お店の名前:ダックスファーム
住所 :富山県下新川郡入善町木根145
電話 :0765-72-1460(地方発送もできます)
「人生甘くない」と「マジック・ジョンソンの言葉」
アフリカでの日本語学校開設にむけて私は情報収集をはじめた。
大学、日本語学校、アフリカ関係のNGOなどなど・・・
会社帰りに足を運んだり、休みの日を利用したり・・・
色々な方々にお話をお聞きしたが、決まって返答はこうだった。
「アフリカで日本語教育は無理だよ。まず、なぜ日本語教育なの。」
「識字率も低い国に日本語教育を行っても無理だよ。
日本語を勉強して、一体なんの役に立つの。。。」
「日本語学校を作ったって生徒は集まらないよ。」
確かにアフリカでの日本語学校は話を聞けば聞くほど本当に大丈夫か・・・と心配になってきた。
でもどうしてもベナンで日本語学校を作りたかった。
なぜなら「ベナンで日本語教育を」という意見は日本人が提案したのではなくベナン人、ゾマホンさんだったから。現地のことは現地の人が一番分かっているに違いない。そう思っていた。
ベナンの日本語学校開設まで色々あった。その時は大学時代に部室に貼ってあった元NBAプレーヤーのマジックジョンソンが黒人の子供たちに贈った詩を思い出した。
君には無理だよと言う人の事を聞いてはいけない
もし自分で何かを成し遂げたかったら
出来なかった時に他人のせいにしないで自分のせいにしなさい
多くの人が僕にも君にも無理だよと言ったら
彼らは君に成功して欲しくはないのだろう
なぜなら彼らは成功できなかったから・・
途中で諦めてしまったから・・
だから君にもその夢を諦めて欲しい
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ
決して諦めては駄目だ
自分のまわりをエネルギーであふれ
しっかりした考え方を持っている人でかためなさい
自分のまわりを野心であふれた正しい人でかためなさい
近くに誰か憧れている人がいれば その人にアドバイスを求めなさい
君の人生を考えることが出来るのは君だけだ
君の夢がなんであれ
その夢に向かって歩いて行くんだ
何故なら君は幸せになる為に生まれてきたんだから
~2003年9月ベナン共和国 コトヌー市セントリタに
「たけし日本語学校」は開講した。
入学希望者は1000名近くに上った。
日本語教師
大学を卒業した私は都内の日本語学校に就職し、営業部に配属になりました。
そこで世界の日本語教育の情報を集めるうちに一つの疑問がわきあがりました。
アフリカ大陸での日本語教育機関数が極めて少ないのです。なぜ、あれほど大きな大陸で日本語教育が少ないのだろうか・・・そういえばゾマホンさんはアフリカで日本語学校を作りたいといっていたけど・・・
そうだゾマホンさんに連絡をとってみよう。その夜、自宅に戻り、以前もらった名刺のメールアドレスにメールを出しました。「今度一度お会いできますか。」と
次の日、メールをあけるとゾマホンさんから「OK」のレスがありました。今、ゾマホンさんと仕事をしていて改めて感じることはメールを送った次の日にすぐに返事をくれることが奇跡です。これほど多忙なゾマホンさんが僕の送ったメールを読んでくれてそしてまた、僕のことを覚えていてくれていたことにびっくりでした。
翌日、上智大学でゾマホンさんに久しぶりにお会いしました。そして、なぜアフリカで日本語学校を作りたいのかを質問しました。
ゾマホンさんからいただいた答えは皆様に少しずつお伝えしてまいります。
最後にゾマホンさんが私の手帳に丁寧な日本語で「日本語教師は民間の大使である。」と書きました。
日本語教師。皆様は日本語教師というお仕事がどのようなお仕事かご存知でしょうか。とっても大切な仕事で、ゾマホンさんも日本語教師への評価は非常に高い。ただ国内での日本語教師の社会的知名度は低いのが残念。とりあえず私はいよいよゾマホンさんの夢にお手伝いしたいと思うようになりました。
そして学生時代からの疑問だった「なぜ世界史の教科書にはアフリカ史が少ないのか。」と日本語学校に勤めてからの疑問だった「なぜアフリカ大陸で日本語教育機関数が少ないのか」という二つが次第に結びつくようになってきました。。。
日本語教師への道
新宿について、お別れの時、ゾマホンさんから名刺をもらいました。そして、早速お礼のお手紙を書きました。
その後私は大学で毎日剣道にあけくれ、そして将来の仕事のこともいよいよ真剣に考えるようになりました。
大学のゼミでは、多くの学生が「学級崩壊」「不登校」「いじめ」などをテーマに研究している人がいました。
そこで私がふと考えたのは「海外の学校はどうなんだろうか。」そして「海外ではいじめや不登校などはないのだろうか。」ということに興味を持ち始めました。
私のなかで少しずつ「海外で教師になって見識を深めたい。そして、将来故郷で教員をやりたい。」と思うようになりました。
私が大学を選んだ基準は、剣道で素晴らしい先生がその大学にいらっしゃったからでした。その先生は剣道の技術のみならず、人間教育も非常に大切になさられる先生で、教員になる為には、この先生のところで勉強したいと思ったからでした。
私は剣道を学び、また大学時代剣道の基礎体力作りのため、相撲もやり段も取得しました。また恩師に進められてお茶の稽古もしました。
そんな大学時代の経験から、この経験を活かしたい・・・そうだ日本語教師になれば海外で教壇に立てるし、いまやっている剣道や相撲や茶道が生きるかも・・・と思ったのでした。
そういえばゾマホンさんは言ってたなあ~
「ベナンに日本語学校を作りたい・・・・」
僕は大学の恩師に早速相談しに行き、日本語教師の道へと進みました。
出会い、そして「ご協力おねがいします。
私がゾマホンさんと会って、七年とちょっとになります。最初は私が20歳で大学生の時、ちょうど羽田空港から新宿まで行くバスの中で出会いました。
その時、ゾマホンさんも地方講演の帰りで、かなりお疲れのようでしたが、TVでゾマホンさんのことを知っていた私は、臆することなく声をかけました。「ゾマホンさんですか。ちょっと質問があります・・・・」
私がゾマホンさんに興味をもったのはただタレントとしてではなく、ゾマホンさんがTVの中で「日本で伝わるアフリカの情報は偏っている。」とコメントしていたからです。
なぜそこに興味を持ったかといえば、私は大学で教育学を専攻しており、専門科目は世界史でした。
小さい頃から教員への憧れが強かった私は、大学で教職課程を勉強していました。そんな中、世界史の教科書を調べてみると、なぜかアフリカの歴史の記述が少ない。しいて書いてあるのが、奴隷船に乗せられている人の絵があるくらいで、ほんの数ページしかない。一方でアメリカ、ヨーロッパ、アジアの歴史はしっかりと記述してある。
「なぜ、日本の世界史の教科書にはアフリカの歴史が少ないのか。何か日本の教科書は偏っているのではないか。それをそのまま子供たちに教えていいのか。」それがゾマホンさんと出会う前からのずっと疑問でした。
「僕はこのまま先生になってもいいのか。もっと見識を広めたほうがいいのではないか。」そう思って悩んでいた時にゾマホンさんと出会ったのは、まさに何かの縁だったのかもしれません。
ゾマホンさんは新宿に着くまでの間、教育について、将来の日本とベナンの交流について色々話してくださいました。その中で、一言、僕の心を揺るがしたのは
「ベナンに日本語学校を作りたい。そこでベナンの人々、その他のアフリカの人々に日本の文化を味わったもらいたい。ご協力お願いします。」
でした。その言葉に何かビビッときて、日本人としても血が騒いだのでした。