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講演会の主な内容

 私は、”日本とアフリカの相互理解”というテーマでいつも講演を行っています。 どうすれば21世紀が平和な世界になるかということを、皆で考えていきたいと思っています。私はアフリカ人としての視点で、問題提議したいと思います。

 私は日本に数年住んでいますが、お互いに知り合うということは本当に難しいことだと思います。日本では、ヨーロッパやアメリカ、アジア、オセアニアの国々についての情報はたくさんありますが、残念ながらアフリカや黒人社会については、あまり知られていません。

 私たちアフリカの人々が日本で暮らすことはいろいろ大変です。先ず、言葉が通じないという問題があります。アパートがなかなか借りられないので住むところを探すのも大変です。学校に通うのもいろいろな問題があります。例えば私は日本に来る前に中国の大学に留学しましたが、発展途上国で取った学位を日本の大学で認めてもらうのはなかなか難しいです。

 日本の方々はアフリカのことをよく知りませんから、アフリカに対する偏見もあります。アフリカが一つの国で、皆動物と暮らしているとか、自然の中で野蛮な社会であるとか、アフリカに対してあまり良くないイメージが強いです。南アフリカでは、黒人、白人がいつも戦争しているなどという類のことしかマスコミは報道しません。エイズやアフリカ各地の内戦、大統領の暗殺(1996年ニジェールのクーデター、2001年のコンゴ民主共和国大統領の暗殺)など、アフリカに関する報道は暗いものばかりしかありません。

 「アフリカには空港がありますか?」「お米はありますか?」とか、「CDはありますか?」「黒人の目は視力が6.0もあるって本当ですか?」などと質問されます。日本で使われている多くの地下資源はアフリカから輸入されているのに、日本人は理解していません。学校の先生や外務省の人、入国管理局の人でさえも、アフリカに詳しいわけではありません。日本の小学校から大学まで使っている教科書には、アフリカのことはほとんど紹介されていません。あっても3~4行です。砂漠がある、暑い、キリンやライオンなどがたくさんいるなどということです。日本人はアフリカに対して知らなさ過ぎ、無関心過ぎだと思います。アフリカの人々は、日本に対して否定的な気持ちは持っていません。日本はアフリカに対して、好きでもないし嫌いでもない、”関係のない社会”と思っていると感じます。一部の日本の外交官や、政府開発援助(ODA)の関係の人々はアフリカの現状を分かっていると思いますが、彼らの意見がマスコミで発表されることはあまりありません。マスコミが採り上げるのは、不幸な、悲惨な出来事など否定的なものばかりです。

 日本とアフリカの交流を盛んにするために一番大切なことは、やはり相互理解だと思います。そのために私はアフリカの歴史を簡単に紹介したいと思います。”温故知新”(古きをたずねて新しきを知る)というように、相手と良い関係を作りたいならば、過去を知らなければならないからです。

 先ず、アフリカは人類の発祥の地であるということです。科学的根拠により、アフリカ大陸は人間の発祥の地であると国連ユネスコは認めました。どの大陸の人間も皆、兄弟であるということです。また宗教的にみても、キリスト教、仏教、神道、VAUDOUISME(アニミズム)によると、世界の人々は皆神様の子供、兄弟であるといわれています。化学的にも宗教的にも人間は皆兄弟であるにも拘らず、人間の歴史を振り返ってみると昔から現在まで戦争ばかり行われています。

 初めての人間の文化は黒人の文化だったのです。エジプト文明(ナイル川文明)は黒人の文明でした。森喜朗元首相(注1)は2001 年1月9日南アフリカで演説されましたが、その時アフリカの歴史に触れられています。8世紀の欧州においてフランク国王が中央集権国家を築いた頃、アフリカではガーナ帝国が繁栄を謳歌していたこと、そして14世紀にはマリ帝国ついでゾンガイ帝国が栄え、当時西アフリカの都市トンブクトゥは、経済交流の中心としてのみならず学問の中心地としても栄え、パリのソルボンヌ大学より多くの教授・学生がいたと言われていることなどです。アフリカは文字を持たないといわれますが、ヒエログリフという文字も存在していました。

 10世紀頃にアラブ人が北アフリカ(モロッコ、チュニジア、リビアなど)にやってきました。彼らがやって来た主な目的はイスラム教の宣教でした。現在も北アフリカにはアラブ人が多く住んでいます。(約250万人) モロッコ、チュニジア、エジプト、アルジェリア、モーリタニア、リビアなどにはもともと黒人が住んでいましたが、南サハラのほうに追いやられたのです。  13~15世紀頃から、ヨーロッパ諸国の人々がやってきました。アラブ人と同じく、経済的・宗教的(キリスト教の宣教)目的を持ってアフリカにやって来ました。オランダ、デンマーク、ポルトガル、スペイン、ドイツ、イタリア、フランス、イギリスなどの国々からです。これらの国の商人によって奴隷貿易が行われました。白人は黒人=非人間と思っていました。衣食住の習慣が違うアフリカ社会を人間社会ではないと見なしました。黒人には、もともとの宗教(アニミズムやブードゥ)や言葉があったのにそれを否定しました。アフリカの近代史の中の400年の奴隷制度、300年の植民地政策という700年にもわたる搾取の歴史は、現在のアフリカに深い傷を負わせています。現代アフリカが抱える様々な問題-紛争や病気、貧困、環境破壊、民主化など政治・経済・社会の問題は、このような不幸なアフリカの歴史が根幹にあります。アフリカの問題を理解し、判断しようとするならば、必ずアフリカの歴史を知らなければなりません。 1884~1885年にかけて、アフリカという大陸はヨーロッパ諸国によってケーキのように分割されました。ドイツのベルリンでアフリカ会議が行われました。ドイツ、オランダ、スペイン、イタリア、デンマーク、フランス、イギリス、ポルトガルの各国はそれまでアフリカに拠点を作ってきましたがお互いの無用な争いを避け、既得権を認め合うという方向でこの会議を行いました。この会議にアフリカの人は一人もいませんでした。アフリカは、石油、金属、地下資源に恵まれた豊かな大陸ですので、ヨーロッパの人々は競ってアフリカを植民地にしたのです。私の母国ベナン共和国、象牙海岸、セネガル、ガボンなどの国はフランスの植民地になりました。ガーナやナイジェリア、ケニア、ジンバブエなどはイギリス、旧トーゴ、カメルーンの一部などがドイツの植民地、アンゴラやモザンビークなどはポルトガルの植民地になりました。赤道ギニアはスペインの植民地になりました。どこでも、その国の文化を無視して植民地支配が行われましたから、後生たくさんの紛争がおきました。

 1960年代、アフリカでは独立運動が盛んになりました。サハラ以南のアフリカ諸国のうち、最初に独立を達成したのはガーナでした。1957年3月6日イギリスから独立しました。1958年にはギニアがフランスから独立しました。ガーナのエンクルマ(KwameNkrumah)はアフリカの独立運動・統一運動で指導的な役割を果たしました。1963年5月にはアフリカ統一機構(OAU)が結成されました。アフリカ諸国は独立後もまだまだ若い国であったのでヨーロッパの指導者たちに利用されました。形だけは出来ましたが、政治的、文化的、経済的、法的、社会構造的にヨーロッパのコピーにすぎませんでした。欧米諸国にコントロールされているから発展するのは難しいのです。

 政治的にみると、アフリカの多くの諸国は冷戦時代にロシアや中華人民共和国やキューバに協力を得、一党制(共産主義)が発生しました。アフリカ諸国の共産主義というのは他のヨーロッパ諸国の共産主義とは異なります。労働者がいないからです。工場がないためです。実施が難しいです。アフリカの伝統的社会の考え方で働いていました。80年代後半(ベルリンの壁が壊された)から90年代になって、アフリカ諸国は新しい政治が始まったのです。民主化、複数政党の時代に入りました。その時から、アフリカ諸国は他の先進国(欧米や日本)の政府開発援助(ODA)を受け続けるために民主化を行わなければなりませんでした。IMF や世界銀行は経済的に自由市場の規則を押し付けました。しかし、私は、その民主化が始まってからアフリカ社会は昔よりもっと混乱してきたように思います。社会秩序を守れなくなったのです。アフリカの多くの人々は、字が読めなかったり書けなかったりします。公用語が分からないことも多いのです。このような状況のもとでの選挙は、国民の意思を表すものにはなりえません。一般人が選挙に主体的に参加し社会を動かしていくことは難しいです。多くの政治家に利用されるだけということが起こります。民主化で人々が自分の主張をするようになりました。給料がもらえないなどという事態が起こるとすぐ欧米と同じように”デモ”という手段をとるようになりました。話し合うことなく、すぐにデモが行われました。

 経済的にみるとベナンの場合一党制の時代は、政府は国民に様々な職業、職場を与えることが出来ていました。布地を作る工場や、セメント、石鹸の工場もありました。公務員の数も40000人くらいに増えました。公務員としての労働者が多かったのですが、民主化になって公務員の半分くらいはリストラされました。国民は怒り、デモが行われました。

 1994年1月にアフリカの通貨CFAの価格が半分になりました。インフレが起こりました。10%以上のインフレが起き同時に国民が生産している品物の値段が欧米諸国によって下げられ、綿花などの値段が下落しました。輸入物の値段は高くなりました。砂糖や牛乳は高くなりました。

 教育においては、アフリカ諸国の教育内容は土着と繋がらないという大きな問題があります。ベナンの場合はフランスの植民地だったため、教育はすべてフランス語で行われました。私の1998年の論文「ベナンにおける初等教育普及の問題点―日本・中国と比較して―」、「ゾマホンの本」(1999年河出書房新社)、「ゾマホン大いに泣く」(2000年河出書房新社)を参考にして下さい。ベナンや象牙海岸、セネガル、ガボンなどはフランスの植民地でしたから、小学校から大学までフランス語で、フランスの歴史、文化、地理などを勉強します。ナイジェリアやケニア、ガーナ、ジンバブエはイギリスの植民地であったため、今も公用語は英語、教育内容はイギリスと変わりません。ポルトガルの植民地もスペインの植民地であったギニアも同様です。アフリカ諸国で教育を受けると、旧宗主国の考え方になる、つまり洗脳されるのです。また、義務教育は有料なのでいくら子供たちが勉強したくても経済的理由で出来ないことが多いのです。就学率は60%くらいです。子供たちは勉強しても、旧宗主国の教育によって旧宗主国に都合の良い人間に育てられますから、自分たちの国を発展させようという考えがあまりおきません。

 社会的に考えるとアフリカは伝統的社会構造をもっていましたが、欧米諸国のナショナリズムに飲み込まれ欧米に影響されてきました。植民地支配を受ける前は、アフリカの伝統的社会構造上には社会階層がはっきりした形で存在しませんでした。しかし、植民地支配により欧米のような社会階層が生まれました。上流、中流、下流社会ができ、学歴社会になりました。学校教育を受けないと、出世できないというように社会構造も変わってきました。国民の生活レベルは年々苦しくなっています。1960年に年間一人当たりGDP最低800ドルだったのが、1990年には平均300ドルに下がりました。

 医療面では国民の収入が低くなってきているので病気にかかっても薬を購入するのが難しく、一人の医者が10万人の患者を診なければなりません。医療設備も海外から導入されるのであまり整っていません。平均寿命は50~60才です。現在、エイズの影響で南アフリカ諸国の若い世代の平均寿命は30才代に下がってしまいました。

 環境問題もあります。アフリカでも温暖化現象の影響を受けています。欧米諸国が産業廃棄物をアフリカに投棄するので環境が汚染されています。自然がどんどんなくなっています。農作業が難しくなっています。 1980年代から砂漠化が広がっています。緑の消失によって雨が降らなくなり、水を飲むことも難しくなっています。先進国では人々は一日に平均480リットル水を使いますが、アフリカでは平均20リットルです。アフリカの女性はきれいな川の水を求めて6キロくらい歩かなければならないこともあります。

 私は講演会でこのような内容で話をさせて頂いています。日本の皆さんがアフリカのことをもっと知ってくださり、関心を持って下さることを願っています。アフリカのいろいろな問題が、歴史的に複雑に絡まって生じていることを理解していただきたいと思います。アフリカが日本の皆さんと”関係のない世界”ではなく、人と人の心の交流を通してもっと近い関係になりますように願っています。日本とベナンの相互理解と友情がこれからもっと深まりますように、どうぞご協力をお願い致します。

 21世紀がきれいな世紀になる様に皆で力を合わせていきましょう。

(注1) 21世紀に入って、初めての日本政府の公式訪問先はアフリカでした。これは歴史的に素晴らしい事で、特に日本人の首相で初めてアフリカに訪問されたのは森喜朗元首相です。その時から現在まで彼はアフリカで最も尊敬されている日本人の政治家です。